──25歳の夏、首を吊る決心をした。
大人に近付くにつれ、夢を見るのはやめた。
宇宙飛行士になんかなれないし
人間は、宇宙空間では生きられない。
明日に希望を抱いても
期待するような未来は訪れない。
高校三年生のある日の夜。
周囲を照らす程の、目映い流星群がこの街に堕ちた。
あの日から忘れかけていた感情が揺れ動く。
そんな非日常に、心臓が高鳴る。
あの日。
血塗れの宇宙人と目が合った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その日は、あまり寝付きが良くなかった。
ここ最近、また寝つきが悪くなってきた。だけど俺は眠れないことに慣れている。こういう時無理に寝ようとすると余計に眠れなくなったりする。
仕方がないからベッドから起き上がり、気付けばノートを開いていた。無心にノートに綴る。真っ暗な部屋の中で、カチ、カチと秒針の刻む音だけが響いていた。
将来なんか考えたくない。それでもせめて、安泰な暮らしを送れるように、少しでも良い大学に行きたい。目的もないまま、ただぼんやりと、そう思う。特に何もやる事もない俺は、これしか手に付けるものがない。
暫く続けていたら、あれから1時間は経っていた。
されども一向に眠くはならない。かくなる上は処方された睡眠薬を服用するか。あれこれ悩んでいたら疲れてきた。段々集中力も切れてくる頃。だめだ、少し休もう。
俺は顔を上げ、少しだけ空気の入れ替えをしようと窓を開けた。その時、偶然ベランダから見えたものは。
───流星群だ。
煌々とした星々チカチカと点滅しながら堕ちていく。それはまるで雨のように降り注いだんだ、この街に。
すごく綺麗だ。満点の星空が迫ってくる。こんなに星が手に届きそうだと思ったのは生まれて初めてだ。何よりタイミングが良かったのか、今日は満月じゃない。よかった、とそう安堵した。
眼前に広がる光景に吸い込まれていく。思い立って靴を履いて外に出る。あと少し、あと少しなんだ。あと少しで手に届きそうなんだ。
そう思った矢先の出来事だ。視界の端に何かが、いる。
見たくない。
分かりたくなかった。
……ああ、どうして俺は気が付かなかったんだろう。
街灯が何一つ点灯していないことに。
血生臭い匂いが周囲を覆っていたことに。
そして、真っ黒な影のような存在が目の前まで迫っていたことに。
ただ、目の前に俯向きながら佇んでいた。明らかに様子がおかしい。
チカチカ点滅していた街灯がやがて点くが、足元に影すらない。違和感の正体はきっとそれだ。やがて不自然に伸びる影は、まるで意思を持っているかのように歪み、うねり始める。地面が歪んでいるんじゃない。それは自身が〝化物〟であると言わんばかりに。
そんなこと、あり得るだろうか。
俺がおかしいのか。
俺はこの存在に、過去にも出逢ったことがある。蛇に睨まれた蛙のように、身体が硬直して動かない。その場から離れることすら。
気付いた時にはもうなにもかも遅かった。触手の存在を認識する頃には音もなく直前まで迫ってきていた。俺はこんなところで死ぬのか。
両足は本能的に後退ろうと動く。しかしなす術もなく相手の触手に行く手を阻まれ、腕を掴まれ、そのまま強引に引き寄せられてしまう。腕に激痛が走り、声すら出ない。体験したことのない痛みで冷や汗が滲む。
このまま食べられるのか。
ぐちゃぐちゃにでもされるのか。
それともあの有名な事件のように、内臓を抉られて、血を抜かれたりでもされるのだろうか。
俺の人生はここで終わるのだろうか。俺は、今度こそ確実に殺される。覚悟を決めるしかないのか。
人生なんてものはこんなもんだ。何もない人生だった。何もできなかった人生だった。何一つ成し遂げることができなかった人生だったな。
本来だったらあの時に死んでいたのかもしれない命だ。後悔することさえ烏滸がましい。ここで死ぬくらいが俺の人生には丁度いいんだ。
死を覚悟して目を瞑るも何も起こらない。 恐る恐る目を開ける。
「逢いたかった、入間。」
そう言い放ち、そしてどこか物悲しそうに微笑んでいた。耳に飛び込んできた声色は優しく、先程までの緊張感が嘘のようにサッと引いていく。
さっきまでいくら目を凝らしても認識出来なかった者の姿をはっきりと視界に捉える。真っ黒な瞳と目が合う。その瞳は何も反射しない。
どうして名前を知っているのか、何故そんな表情をされたのかどうしてそんなことを言われたのか、どうして俺を殺さない。その意図は、読めない。何も分からなかった。
全てが一瞬の出来事だった。それでも、今だけ時間がゆっくり流れているような錯覚を覚えた。
でも、今しかない。今だ、今なら逃げられる。その時、俺の硬直した身体は動いていた。隙を突いてその場から逃げ出していた。ただ今はとにかく逃げなければ。こんなところでまだ死にたくない。殺されたくない。
走って、走って走って。家までの真っ直ぐの道を無我夢中で走った。帰路が、とてつもなく長く感じた。
全速力で家の玄関に駆け込み、ドアを勢いよく締める。心臓が飛びでそうな胸を抑えながら乱れた呼吸を整える。そのまま力なくドアに凭れ掛かってしまう。いや、まだ油断できない。俺は急いで玄関の鍵を閉めた。
そうして、やっとのことで落ち着いて呼吸を整える。ドアに頭を付けて、そのまましゃがみ込む。自分の呼吸音以外、物音一つしない。これでもう一安心だ。
そう思った矢先。先程まで聞いていた声が背後からした。
「待ってよ、まだ話してる途中だよ」
声のする方へと振り向くと、そいつは玄関を上がって部屋の中にいた。それを見て思わず腰を抜かしてしまう。ああ、もう既に遅かった。惨めだろうがなんだろうが、そんなこと考えられる余裕すらなかった。震えて立てない。完全に逃げ場を失ってしまったんだ。つくづく運が悪い。
しかし目の前にいるそれは、姿が先程とは違い、代わりに学生服のようなものを身に纏っていた。さっきまで血塗れだった姿はまるでなかったかのように、血生臭い匂いもしない。
それどころか、まるで昨日まで友達だったような調子で話しかけてくる。
「あのさ、ちょっとの間だけここに居させてよ。」
突拍子もない提案に脳が処理しきれなかった。
「困ってる。宇宙船がおかしくなっちゃってさ。今は自己修復中なんだけどね、もう少し時間掛かるみたいだからさ」
そいつは宇宙人であることを包み隠さず話した。嫌な汗が滲み出る。もしここで下手なことを言ってしまったら。選択を誤ってしまったら。俺は殺されてしまうかもしれない。
そうだ、今なら何か提案を出来るかもしれない。それなら何を言うべきだろうか。慎重に言葉を選択しなければいけない。だがこれは交渉のチャンスなんだ。
「……それなら、人を傷付けることをしないと約束できるなら」
となんとか絞り出した声で告げた。
それを聞くと「いいよ」と、あっさり条件を飲んだ。
「郷に入っては郷に従え。俺さ、地球のルールあんまりよく分かんないから、色々教えてよ。」
ゆっくりと近付いてきては俺の目の前でしゃがみ、笑顔を向けられる。
俺と相反している存在であるというのは、近付くとより明確になる。呼吸していないのか上下しない肉体、瞬きもしない瞳、作り物のように動かない。口内が青紫色をしていた。
明らかに、人間ではない。だけど、こうして意思疎通ができるだけマシだと思ってしまうのが嫌だ。
「俺は化野(あだしの)。これからしばらくの間よろしくね、入間。」
そうして手を差し出される。
恐る恐る、握手を交わそうとしたが、その直後、ぐらっと視界が歪む。
もしかしたら自分が思っているよりもずっと疲れていたのかもしれない。
途端、緊張の糸が切れたように、意識を手放し暗転する。
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